私は生れ付き欠陥だらけの体で生まれました。20週の時産気付いた母は第一子ということもあり、大事を取り入院して絶対安静という厳しい制限を守りぬき、必死で私を守ってくれました。しかし24週425cで生まれた私の体には幾つもの重い障害があった。胎児診断で両親には私が様々な内臓の障害を持って生まれてくる可能性が高いこと、重度の障害であること、例え生を受けても一生医療の力を借りなければ生きられないこと、長くは生きられないことを告げられたそうです。そして両親に産むか産まないかの選択を迫られました。両親は考え抜いた末、どんな形でも私を育てようと決意し、私を受け入れてくれました。予想した以上にひどく、私は仮死状態で生まれ、重度の障害を持っていました。次々に証される病名と現実に両親は戸惑い、行き場のない不安に駆られたといいます。「原因不明。今の医学を以てしても治療法がない。進行性…」しかし私は皆に愛され、生かされました。何度もダメだと言われた。何度も危険な状態に陥りました。けれどもその度に助けられ生かされてきた。それは決して私の生命力が強いからではありません。両親や両家祖父母からの愛、主治医や看護師、皆からの愛で乗り越えられたんだと思います。
このページは私の病気を中心に書いています。私は医師でもなければ看護師でも医療に携わる人間でもありません。ここに記載されているものはあくまでも私自身が調べ、経験をもとに載せた次第です。同じ病気でも症状や治療は千差万別です。十人いてその十人ともが同じ症状を示すかどうかは解らないし、状況も一人一人異なります。ですから参考程度まででお読みください。私は自分の病気を専門医並に調べ、小四の時点で専門書を手にしていました。解らないことは主治医に聴いたし、知らないままで治療を受けたくはなかったのです。自らの病気に対して知識を持ち、知性化することで私は病気に対しての不安や恐怖を処理していました。ここでは文字数の関係のため一つ一つの疾病に対し、詳しくは書けませんでしたが私なりの言葉で精一杯誌しました。想いや感情を言葉にすること…それは私が生きている証となるものです。

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