私はほとんど学校というものに通った事がありません。記憶も曖昧です。ただ唯一覚えているのは母の自転車の後ろに乗り、しんどい思いを抱えながら、遅れて登校し、一時間ほど行っていた事しか思い出せません。私は学校に行くのは大きなリスクがいつも付きまとっていて、まともに義務教育すらその機会を得る事も出来ませんでした。重症な難病の子は、当たり前のように教育を受ける事が出来ないのでしょうか?子どもに保証される最低限の教育も私は、難病の子どもたちは受けられないのでしょうか?どうか一緒に考えてください。子どもには子どもの権利があります。どんな子どもでもどんな環境下でも教育は保証されるべきです。いいえ、保証してあげなければなりません。私はずっと学びたい、勉強したいと思っていました。けれど普通に学校に通い、普通に教室で授業を受け、普通に教育を受ける事が私は出来ませんでした。だからほとんど在宅での医療と並行に、独学で学び続けました。家庭教師もつけてもらいましたが、体力がない私は長時間の座位も体に負担がかかり、先生が帰った後はしばらく動けない状態でした。急変する事が多く当日になって、約束をキャンセルすることも日常茶飯事でした。そんなことで、なかなか勉強も進まず、遅れをとるという焦りも加わり、私は必死に勉強しますが、授業に出ていない私は教科書や参考書だけでは理解が出来ず、本当に苦しかったです。両親に教えてもらうにしても、段々学年が上がるにつれ、両親の時代と今の時代での教え方・求め方も多少異なるため、教えてとは言えませんでした。頼れるのは自分だけです。信じれるのは自分だけです。だから一人っきりで分からない問題を必死に解きました。点滴をしながらベッドの上で参考書を持ち、何度も理解が出来るまで読み続けました。私は小中と公立に在籍していました。入学当初、市の教育委員会の方や主治医からも養護学校を薦められたそうです。でも両親は公立で、育てたいと強く希望し、何度も話し合いの末、学校側も理解くださり、養護学級への籍を置くと言うこと、母親が送迎する事、何かあったときすぐに対応できるよう連絡がとれることを条件に入学が決まりました。それでも私は小学校・中学と合わせても数える程度しか出席していませんし、授業を受けた時間もとても少ないです。感染症にかかる危険、体力の問題、発作の問題、給食の問題があり行けたとしても病院で点滴を受けた後、1時間だけ登校し、またすぐに病院に戻り治療を受ける。その繰り返しでした。養護学級でも過ごす時間はほんの僅かしかありません。そして健常児の友達が少ないのもその結果の表れです。私は健常児との触れ合いがあまりありませんでした。そして小学4年生の頃、ある女性教師と出会います。彼女は年配の先生でしたが、とても優秀で子どもの良いところを見つけ、伸ばし信頼できる先生で子どもたちや保護者からの信頼も厚いものでした。教師が苦手な私も、彼女だけは心を開けました。入院する度にお見舞いに来てくださり、本当にお世話になりました。6年生の時にも同じ担任なり、いろいろご指導くださり、私はこの先生が大好きでした。中学になって教師とトラブルった時にも私は真っ先にこの先生がいる小学校へと足を運びました。先生なら話を聴いてもらえる。先生なら、分かってくれる。それほどまで教師を信頼した事はありません。今までに彼女を上回る教員の方にも出会ったことがありません。彼女は私にとっても母にとっても恩師です。何とか出席日数が絶対的に足りないものでも留年せずに毎年進級でき、無事小学校を卒業出来たのも多くの先生方の配慮があったからです。私は小学校が大好きでした。私が通っていた小学校は病気を持った児童や障害を持った児童に対しとても受容的な姿勢を見せ、どの先生も皆優しかったのを覚えています。全く行けませんでしたが、学校生活で小学校時代が一番楽しい時期でした。

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