そんな主治医の事を少しだけ書かせて下さい。
A先生は4歳〜8歳まで診ていただいた先生で専門は喘息でした。A先生との記憶は幼かった為にあまり覚えてはいないのですがいつも診察の最後には優しい笑顔で「がんばろうね」と言ってくれていたのを思い出します。A先生はある日突然別れてしまいました。定期外来に行くとA先生はもういなかったのです。事務の人から「名古屋に開業した」と聞かされました。私と母も何も聞かされておらず戸惑いました。4年間も一緒だったのにどうして教えてくれなかったのだろう。私が記憶している面で初めての医師との別れでした。A先生の居場所も開業された場所も分かりません。きっと今道ですれ違ってもお互い分からないでしょう。彼は私の幼い頃しか知らないのですから。でも信じています。きっと今もお元気で多くの患児を救っている事を。A医師の後を引き継ぐような形で主治医になったのがH先生でした。彼が私の人生に大きな影響を与えます。当時の私は病気を持った将来に対し夢も希望もありませんでした。そんな私を明るくさせようと何度も病室に来ては手品とかを見せてくれ笑わせてくれました。私が明るくなり将来に夢を持てたのは彼のお陰です。H先生は私にいつも「自分に自信もて」と口癖のように言ってくれました。自分に自信を持つ事で私は病気と向き合う力を教えられたような気がします。しかし彼とも11歳の時に異動で府立の大学病院に転勤しました。異動先が府立だった為電車でいける距離で定期的にH先生に会いに行っていました。それも長くは続かず、異動から2年後の13歳の頃先生の出身地である長野県に帰られました。地方の病院で小児科医が一人もおらず帰ってきてほしいと言われたらしいです。向こうにもH先生を必要としている人がいる、頭では分かっていても気持ちの整理にはかなりの時間が必要でした。彼と最後に交わした約束。「20歳になったら会いに行くね、それまで必ず生きている」…と。だから私はH先生との約束を守るまで生きなければなりません。長野は遠いけどいつか再び会えると信じています。続いてH先生の後を次いで10歳から診てもらっているF先生。彼はアメリカから帰国したばかりの優秀な先生でした。でもその頃の私は度重なる主治医の転勤に人間不信・医者不信に陥っていて彼を信頼するまで1年もの歳月を要しました。ある入院中思い切って手紙を渡しました。私は手紙で医師とコミュニケーションをとる事が多く、手紙が唯一自分の気持ちを相手に伝える手段だったのです。その手紙に自分の思いを綴ったものを渡すと翌日無口であまり喋らなかったF先生の方から沢山話し掛けてくれました。それからは信頼関係がみるみるうちに出来上がり、そこには誰にも覆す事が出来ないほど強い信頼関係の土台が出来ていました。ちょうどF先生の時に自分を見失い、自暴自棄になっていたのですが、F先生は私と真正面から向き合ってくれありのままの私を受け入れてくれました。時には厳しく叱ってくれ、心から信頼できる人でした。医師と患児との関係ではなく一人の人間として向き合ってくれた事本当に感謝しています。病気の進行と悪化の狭間で恐怖と不安で情緒不安になり泣き叫んでいた私に優しくでも厳しく言葉をかけてくれた事、「僕は絶対にはるかちゃんを見放したりしない。見捨てない。約束する」「大丈夫」と力強く言ってくれました。彼のお陰で再び自分を取り戻す事が出来たのです。でも彼ともいつかは別れなきゃいけない。それは出会った時から分かっていました。これまでの経験で知っているから。だから別れる時に辛くならないようにある程度の距離を保とうと思っていたのに、F先生とはあまりにも深い信頼関係をつくってしまったのです。彼とも13歳の時に転勤の為他府県に行きました。それでも近畿圏内だったので不定期ながらも先生に会いに行っていました。治療はF先生の後を引き継いだ今現在の呼吸器のM先生に任せていますが、何もしなくてもF先生の顔を見ると安心できた。F先生の所には診察というよりお互いの顔を見に、話をするだけの場となっていました。

HOME

ロックバンド ランダム
ホムペ編集 ホムペ作成


(C)ecaco