しかしF先生はまた異動の為に一度目の転勤から約2年で次は滋賀に転勤しました。それを知った時、もう涙はなかった。そのとき、初めて自分が成長している事に気づきました。転勤を知った時、いつも泣いていた。離れる事に不安と恐怖が交差して自分をコントロールできなくなった。でもその経験を乗り越えて、私は確実に強くなっていました。F先生は忙しいはずなのに時間を見つけては私と話をする時間を作ってくれ、様々な想いを聴いてくれました。一度見失いかけた自分を再び見つけ出す事が出来たのは根気強く私に付き合ってくれ、一緒に歩いてくれたF先生がいたからです。異動する度にF先生はちゃんと異動することを教えてくれました。「離れていかないと約束する」その言葉通り、彼は今でも私に付き合ってくれています。滋賀に行ってから1年僅か、次は大阪のある病院に戻ってきました。同じ府内にいる事はとても心強く嬉しい事です。戻られてから私は一度も彼に会った事がありません。近ければ近いほど、距離が遠のく。またいつか会えると信じて…
M先生はF先生の後を引き継ぎF先生の後輩でもある先生です。ちょっと無口で不愛想で、いまいち何を考えているのかわからない先生。これまでの先生とはまた違ったタイプの人でした。それほど権力もなく(先生ごめんなさい)、ずっと研究をしてきた先生だけあって臨床には不慣れな先生でした。今現在の呼吸器主治医でもありますが未だに列記とした信頼関係の土台が出来ていません。でも私は彼を信じています。何度もM先生に近づこうと努力をしてきたつもりです。でも彼は振り向いてはくれませんでした。彼とは合わないとわかり何度も転院も考えましたが私を受け入れてくれる病院はなかなかありません。条件にあった病院、先生、受け入れを断られる事が多く結局家から一番近いこども病院で診てもらうしか出来ないのです。M先生は決して悪い先生ではありません。ただ生き方、人付き合いが不器用なだけです。時々見せてくれるM先生の笑顔に私はもう一度彼を信じたいと思った。いつかまたM先生とも別れてしまう日が来るでしょう。でもその日まで私は明日もM先生と付き合っていきます。
まだ他にも私の大切な主治医や担当医はいます。私の治療に約50人近い医師が携わっています。ここには記載するスペースが確保できないため、主に4人の先生を書きました。彼らはこども病院の医師らです。こども病院では全医師が私の主治医です。ここに記載させて頂いた4人の医師はこども病院の呼吸器とアレルギー免疫を担当してくださいました。他にも血液担当の副院長、消化器担当のF井先生、腎臓担当のN先生とK先生、そして神経担当のM上先生、内分泌担当のH野先生。アットホームなこの病院の先生が大好きです。そして子ども病院とは別に大学での主治医や担当医は他にも大勢います。大学で心臓を診てくれていたY先生。Y先生が倒れてしまってから新たに担当医になったF島先生、呼吸器担当のK先生、消化器担当のM田先生、内分泌代謝担当のS本先生、腎臓担当のU村先生、血液担当医のN先生、免疫アレルギー担当のS崎先生、脳神経のT先生、整形のY下先生、外科のS城先生、眼科のS北先生、耳鼻科のS田先生…。主治医となる医師は部長クラスの先生ですが担当医は各分野ごと2〜3人の医師が担当医になります。一人一人について触れたいけれどここにはスペースがないのでごめんなさい。
主治医との出会いと別れ。それは私の人生を大きく左右しました。人とかかわる事が怖くて人と関わる事を拒絶していたあの頃。でも主治医たちとの出会いは様々な事を教えてくれました。人は出会いと別れを繰り返しながら成長する生き物だと言うこと。別れは確かに辛いけど、それは自分にとって大切な出会いだった証拠。本当に自分の人生に必要な人なら関わりは続くのだと言うこと。人との出会いがこんなにも素晴らしいものだとは思わなかった。大切にしていきたい。この出会いという名のその人と過ごす大切な時間を。

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