私は中学1年〜2年の終わりまでの約2年間、ボランティア活動(Vrと略す)をしていました。
重度の難病を抱え、社会に出ていくのは並み大抵なことではありません。ましてや人の世話をするなんて考えられないことでした。自分のことも満足に出来ないのに、それでどうしたら人様のお世話が出来るでしょうか。あるいは触れ合えるでしょうか。初めて両親や主治医にVrとして活動したいと申し出たとき、誰もが戸惑いました。私自身、迷ったことがないではありません。でも幼い時から気づけば私の生活する場は病院だった。その経験は、消し去ろうと思っても私の記憶から消えることはないのです。いつも誰かに助けられてきた、生かされてきたこのいのちを、他の誰かに伝えたい、そして何より、病気の進行と悪化の狭間で自分を見失っていた自分自身を取り戻すために、Vrとしての位置づけは私にとってとても意義があることだったのです。両親や主治医は「はるかが決めた事なら好きなようにしなさい」と言ってくれました。私は自分の病気について何もかも知っています。リスクを背負った上での、人生への、いのちへの挑戦でした。そうして、足を踏み入れたVrの世界でしたが、たかがVrといいますが、Vrとしての位置づけ、任務は想像をはるか超えた厳しい社会にあったのです。病気を抱えている事を理由に受け入れを断れるケースもありました。中には面接を言い渡される施設も数多く存在しました。その度に、健常者と障害者とのギャップを感じ、人生でのはじめての挫折を味わいました。
私たちVrはVr養成センターにて、福祉や医療・介護技術などを2カ月の規定期間において、勉強し実習し、技術や必要となる知識を学びます。そして、その試験に合格したものだけが、Vrとしての資格が与えられ、介護施設や養護施設でのVr活動の資格が得られるのです。普通にVrをする分に当たっては、そんな特別な事は必要ありません。私はあえて、厳しい方のVr養成センターにおいて、勉強し、その後に活動する選択肢をとったのです。それは中途半端な気持ちや想いで、彼らと関わりたくはなかったからです。無神経や無理解な言動をつい言ってしまって、彼らを傷つけるかも知れない。Vrとしてそれは、あってはならないことです。試験には合格したものの、なかなか受け入れ先が決まりませんでした。一番の理由はやはり重度の障害があるから。受け入れる側も慎重になっていました。そりゃそうですよね。もし活動中に発作が起きて、何かあってからでは困りますから。施設の方が受け入れを拒むのも無理のないことです。
しかしそんな頃、ある特別養護老人介護施設が受け入れてくれました。私はさっそく面接に行き、その場でOKをもらい、さっそく翌日からの勤務になったのです。しかし、そこは特養。重度の介護を要する方が入所していました。Vrは職員同様に扱われます。もちろんエレベーターはありますが、職員は隣にある非常階段を利用しなければならないという規則がありました。施設側も私が重度の障害であることを理解してくれてはいましたが、私自身の負けん地が勝ち、激務を耐えました。特養は本当に辛く、私が所属していた部署は2階でしたが、何度も最上階まで上り下りを繰り返さなければなりませんでした。やがて特養は無理だと感じはじめ、せっかく受け入れてくださったのに、申し訳なさと後ろめたさと、罪悪感と、何よりも自分が最後まで出来なかった事への自己嫌悪でひどく落ち込みながら、2週間勤務した特養を後にしたのです。Vrセンターにディサービスへの異動願いを提出し、新たな職場探しが始まります。

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乙女 ランダム
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