例えそれで寿命を縮めたとしても、私は本望だとさえ思っていました。体を限界まで酷使する事で強さを手に入れようとした。Vr時代、私は人生で一番輝いていました。人と関わることが怖かった。人と触れ合うことが怖かった。目を合わせられなくて。いつも何かに怯えていました。自分で自分がコントロールできなくなり、自分が何をしたいのか、どうしたらいいのか、何が気に入らないのか、自分自身が怖かった。大好きな母や弟に当たり散らしました。本当に情けない話です。それがVrをすることでたくさんの方に出会い、私は多くのことを学んでいきます。Vrが私の人生を大きく変えました。人と関わることを拒絶していた私がこんなにも人と関わることを好きになったのは、Vrとしてたくさんの出会いを経験したからです。一つ一つの出会いの中に、一つ一つの物語があります。その物語は全てがHappy endとして終わる訳ではありません。中にはな亡くなってしまうお年寄りも数多くいました。仲間の死を見てきて、死に対し敏感になっていた私にとって、彼らの死はとても大きなショックでした。でも、人はいつか死にます。それは生物が生物として生まれてきた以上、変えられないどうしようもないことです。それを知りながら、前向きに生きる彼らを見て、私自身もう一度「生きる」ことに焦点を当て、考えるきっかけを与えてくれました。逃げてはいられない。私なりに死を受け止め、解釈してきたつもりです。
私は少しずつ自分を取り戻していきました。講演会にも出向き、ディを利用されているお年寄りの御家族や養護施設で知り合った病児や障害児の親御さんから、相談をされることもありました。私は医者でも専門知識を持った専門家でもありません。有志で活動しているただのVrです。でも彼らにとってはそんな位置づけはどうでも良いのです。介護者や家族でもない第3者だからこそ、彼らと深く関われる、それがVrなのです。だから出来る限りの情報を提供しようと資料を集め、独自でいろいろな方法で情報収集を行いました。利用者さんから、子どもたちから、御家族から、スタッフから寄せられた信頼は私に自信を持たせた。頼られる事がうれしくて、信頼される事が誇らしくて、更に私は頑張り続けました。しかし、そんな生活は長くは続きませんでした。とうとう身体が言うことを効かなくなり、2カ月間の長期休暇を貰いました。その決断をするのは本当に辛かった。でも2カ月ちゃんと休んで、体をいたわってあげれば体はまだ頑張ってくれると信じていたのです。主治医や両親も始めはそれで納得してくれました。とにかく今すぐにでも危険な状態だったからです。でも私の想いとは裏腹に病魔はもう一度現場で働くという夢を叶えさせてはくれなかった。2カ月間の休暇が終わり、重い体を気力だけで奮い立たせ、現場に一度は戻ったものの、以前のように活動できなくなりました。私の体は、臓器は限界でした。このままでは私が倒れる前に、みんなに迷惑がかかってしまう。それは当初から<みんなに迷惑をかける前に身を引こう>私の中のケジメでした。でも、簡単には割り切れなくて、どうしても続けたくて、でも続けるにはあまりにも私の体は限界で、そんな想いが交錯しあう中、私は自らの誕生日をけじめに2年間のVr活動に終止符を打つことを決心しました。それは2カ月の休暇をとる時より苦渋の選択でした。
今すぐにではなく、どうして誕生日まで待ったのか。中途半端では終わらせたくなかったからです。中途半端では彼らに、信頼してくれた信じてくれた彼らに申し訳なかったからです。施設のスタッフはじめ、仲の良いお年寄りや一部の人には11月末で辞めることを伝えてはいました。それは、黙って突然いなくなったとき、彼らの精神的な苦痛を考えての結果でした。私は過去主治医に転勤することを告げられずお別れも、ありがとうも言えずに別れてしまった苦い経験があります。だから彼らには二度とそのような辛さを、まして高齢の身に受けてほしくはなかったのです。すると、あるお年寄りが忙しく働く私に声をかけ呼び止められました。「どうして辞めるの?」その方は脳梗塞で右半身麻痺、言語障害がある女性でした。私は答えられなかった。どうして言ってあげなかったのだろう。今でも後悔しています。「後で言いますね」そう笑顔で言って、私は多忙を理由に逃げました。スタッフには病気が進行し辞める旨を伝えてはいましたが、高齢の利用者さんにはそのことを話すのはあまりにも残酷で、後々のメンタルケアを配慮して理由は言えませんでした。でも、うすうす私が体が丈夫じゃない事は分かっていたようです。

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