体は本当に辛かった。悲鳴をあげていました。発作は耐えなかった。それでも誕生日の11月27日まで、がんばり続けました。最後の、最後の活動日。それぞれの施設でお別れ会を開いてくれました。いつものように、お年寄りの食事介助をして、自分の食事を手早く済ませ、午後からのレクリエーションに加わり、レクリエーションの時には椅子を丸く並べ、円状にするのですが、突然その真ん中に呼び出され、?と思っていたら、利用者さん、スタッフから、一輪ずつ花をもらいました。突然のことに涙が止まらず、本当に感動しました。みんなに一言ずつ言葉を頂きながら、私は花束になっていくその過程をかみしめていました。最後にスタッフ・利用者さんが書いてくださった2枚の色紙をある利用者さんから受け取りました。その方は重度の認知症の方で、私は一人の介助職員とその方の支援に回っていました。私が話し掛けてもそれには答えず、意思の疎通が難しい方でしたが、本当にその時だけ、私の目をずっと見つめていたのです。目を合わせた事はありませんでした。私のとても大切な想い出です。御家族の方と施設スタッフを繋ぐ連絡帳にも、御家族から暖かいメッセージがいくつもありました。休憩時間に返事を書いていると涙があふれ、うまく書けませんでした。いつも冗談ばかり言っては私のお尻を触っていたあのOさんもこの日は朝から元気がありませんでした。そしてお別れ会の時には涙すら流してくれたのです。何人ものお年寄りが、職員が涙を流してくれました。こんな頼りないVrを頼ってくれたお年寄り、信頼してくれたスタッフ、信じてくれた御家族に本当に感謝します。まだ社会に出た事なんてなかった未熟な子どもでした。学校すら満足に行けなかった私がこのような形で社会に出ていくのはとても困難で、問題はありましたが、暖かく御支援頂いたスタッフの方、受け入れてくださった施設の方に、そして重い障害を抱えながらの受け入れ先はなかなか見つからず、困難を極めながらも諦めず、各施設に問い合わせ頭を下げてくださったVrセンターの担当者の方にこの場を借り厚くお礼申し上げます。
そして…何よりも家族の見守りと優しい援助があったからこの2年間を過ごすことが出来たのだと思います。何も言わず、帰ってきて真っ青になり発作を起こしながら玄関でヘタリ込んでしまった私に、お茶を入れ背中をさすり続けてくれた母に、そして、いつも電話を入れ体を気遣ってくれた祖母に、時には送り迎えをしてくれた父に、感謝します。彼らの協力なしでは私はこの2年間を過ごすことは出来ませんでした。本当にありがとう。私にとってこの2年間は貴重な時間でした。その2年間で学んだ介護技術と知識はVr引退後も、自分の祖父母に提供することが出来ました。
私の人生の中できっと一番輝いていた日々。あの頃にはもう戻ることは出来ません。でも、もう一度現場に戻りたい。そう思う時があります。たった一つ願いが叶うなら、健康な体が欲しいなんて思わない。走れなくても、動けなくても、制限があっても構わないから。あの時と同じ条件で構わない。もう一度、あの頃にあの時間に、あの時代に戻りたい。。大好きな人と出会ったあの場所に。
今でも彼らのことを思い出します。その後も同じ職場で働いていた彼から利用者さんの事は聞いていましたがそんな彼も翌年には隣接された特養に異動し、彼らの情報は途切れてしまいました。入る情報は亡くなったという訃報ばかり。Oさんは相変わらず、若い子を見つけてはお尻を触り続けているのでしょうか。情報がなくなった今、彼らのことを憶測することしか出来ません。そしてあの時Yさんに聞かれ、どうしても答えることが出来なかったこと、もう一度許されるのなら、あの時に戻り、あの時答えられなかった事を、今度はちゃんと答えてあげたい。

HOME

黒執事 ランダム
ホムペ編集 ホムペ作成


(C)ecaco